1.3 戦後日本における焼肉の誕生

1.3.1 1945年〜1950年代:混乱期の屋台文化

1945年8月の終戦直後、日本は深刻な食料不足に見舞われた。大都市の焦土には闇市(ヤミイチ)が立ち並び、そこでは本来廃棄されるはずであった畜産副産物(内臓、骨周辺肉など)が取引された。

大阪の鶴橋、東京の新宿区大久保板橋区などの在日コリアン集住地域では、この時期から七輪を用いた内臓肉の焼き物が路上で販売されるようになった。これが日本における焼肉店の直接の起源とされる。

1946年頃、大阪市東成区にはコリアタウン(現在の生野コリアタウン)の前身となる朝鮮人集住地区があり、ここで提供された「ホルモン焼き」が在日コリアン・日本人双方の間で人気を博した。

1.3.2 1950年代:「焼肉」という名称の定着

「焼肉」という言葉が現在の意味で広く使われるようになったのは1950年代のことである。それ以前は「コリアン料理」「朝鮮料理」「ホルモン焼き」などと呼ばれることが多かった。

1952年のサンフランシスコ講和条約発効後、日本が主権を回復するに伴い、在日コリアンが経営する飲食店も次第に表通りへと出てきた。東京・新宿の歌舞伎町周辺、大阪・難波の千日前周辺には、「焼肉」の看板を掲げた店舗が増加した。

注目すべき転換点:1950年代半ば、一部の先進的な焼肉店が「テーブルに炭火を置いて客自身が焼く」というスタイルを採用し始めた。これは現在の焼肉スタイルの確立にとって決定的な革新であった。