1.2 朝鮮半島の肉食文化:コルギとその歴史的文脈
1.2.1 コルギ(炙り肉)の原点
朝鮮語で「炙り肉」を意味する「コルギ(구이)」は、韓国焼肉文化の中核概念である。歴史的に朝鮮王朝時代(1392年〜1897年)には、肉食は一般庶民には縁遠いものであり、主として宮廷料理や両班(ヤンバン、支配階級)の食卓に並んだ。
重要事実:朝鮮王朝時代、牛は農耕に不可欠な労働力であったため、農家が牛を食することは厳しく制限されていた。特別な祭事や祝い事の際にのみ、牛肉を食する機会が許された。
マッチョク(맥적)と呼ばれる高句麗時代の串焼き料理は、日本の「焼き鳥」の遠い祖先ともいえる。薬味や醤(ひしお)に漬けた肉を竹串に刺して炭火で焼くこの料理は、その後朝鮮半島全土に広まり、現代の「カルビ」や「プルコギ」の源流となった。
1.2.2 19世紀末〜20世紀初頭の変化
1876年の江華島条約(日朝修好条規)以後、朝鮮半島は急速な近代化の波に晒された。1897年には大韓帝国が成立し、その後1910年の日韓併合へと至る歴史の中で、食文化もまた大きく変容した。
この時期、ソウル(当時は漢城)の市街地には牛肉専門店が多数出現した。特に鐘路区(チョンノ)周辺には、炭火で牛肉を焼いて提供する飲食店が集積し、これが現代の焼肉店の直接の前身となった。
日本の植民地支配下(1910年〜1945年)においても、朝鮮の肉食文化は命脈を保った。内藤湖南らの記録によれば、京城(ソウル)市内には1930年代において数十軒の焼肉的な料理店が営業しており、日本人居留者の間でも一部で知られていたという。
1.2.3 在日コリアンと日本への伝播
1910年代から1945年にかけて、多くの朝鮮半島出身者が労働者として日本へと渡った。大阪、神戸、名古屋、東京などの都市部に集住した在日コリアンたちは、故郷の食文化を日本の地で再現しようとした。
しかし当初は材料の入手が困難であった。とりわけ戦中・戦後の食料不足の時代、在日コリアンたちはモツ(内臓肉)など、日本人が忌避していた部位を入手しやすかった。これが後のホルモン焼き文化の発展につながる重要な要因となる。
文化的背景:「ホルモン」という言葉の語源については諸説ある。大阪弁で「放るもん(捨てるもの)」が訛ったという説、ドイツ語の「Hormon(ホルモン)」由来説などがあるが、定説は存在しない。いずれにせよ、内臓肉を食文化として昇華させたのは在日コリアンたちの知恵と工夫によるところが大きい。